睡魔

今日寝たのにまだ眠い。

でもコースディレクターのR先生と話すために頑張って起きた。

最近6:30,7:00に起きれても二度寝しちゃうのが悩み。はぁ。

 

でも今日は約束あったから頑張っておきた−!

そして午前中に用事済ませて図書館なう。

 

さっきラージサイズのカフェラテ飲んだのにまたネムイ(´・ωゞ)

なんなん。でも負けない。むー!

 

ちゃんとある程度寝てるのになぁ。ネムイ(´・ωゞ)

下町の居酒屋はしご願望

美味しいホルモン屋さん食べに行きたい。

私今までホルモンとかあまり好きじゃなかったんだけど、なんか急激にちょっとネットみてたら下町の居酒屋とかでやすーく飲んだりするのしてみたくなってきた。

やすーく美味しいもの飲んで食べて、そーゆーのはしごしたい。

 

誰か−、このブログ読んでいる人でそーゆーのしたい人いたら日本帰ったらしませんかー?(*´ω`*)

お母さんとか呑兵衛だから好きそうだなぁ笑

 

でもその前にイギリスのB級グルメ&イタリアのB級グルメ制覇しますかー(*´ω`*)

イタリア帰った時もtrastevereやsan lorenzoあたりいいなぁーって思った。

なんだろ、わかりやすくいうとローマの下北的な。

 

もっとそーゆーとこ行きたいんだよねぇ。

 

友達やお父さんとかといきたいなぁ。

 

イギリスも食べるの好きだからもっと外でていきたいなぁ。

 

そのためにも、心と体のタフネスつけなきゃなー(つд⊂)エーン

がむばろ。

 

おやすみなさい。

変化への勇気

人との関係性において、その人との居心地が悪かったり、相手が私達をがっかりさせた時って、もっと要求して変化を促さなければならないのだと思う。

しかし、私達のその努力が無駄に思えた時、辛い思いをして苦しむより、別れる勇気を持たなければならないと思う。

 

では、もう関係性が意味を成さず、変化の余地がないというのはどうすればわかるのか。

 

私達の内なる声と内なる心像に耳をかたむけなければならないのだと思う。

この声が愛情やコミュニケーションの虚無を感じ取り、「不在」に反抗して、変化へ勇気を要求するのだと思う。

 

 

 

年老いていくということ

親や祖父の世代の人たちが弱っていくのを見ると、思うことがある。

 

有名なたとえなんだけど、小さい時は赤ちゃんで、できないことがいっぱいあって、大人の手を借りれないと何も出来なかった。

それが彼らの手を借りて、少しずつできることが広がって。

今度はその反対で、私達はほぼ全てできて、両親や祖父母が弱って子供になっていく。今までできていたことが、少しずつできなくなっていく。

一個ずつ逆戻りして、赤ちゃんみたいになっていく。

 

助けてもらっていたのが、いつしか助ける側になっていく。

 

 

そういう時って、忘れちゃうんだよね。

 

今まで親や周りの愛している人たちがどれだけ助けてくれたのが。

それが実際に物理的に手を貸してくれたことだったり、精神的なことだったり、経済的なことだったり。

 

でも、なんか昔ニコニコ笑って抱いてくれた時期がちょっとでもあると思うと、なんか泣けてくるよね。

 

そんなことを思った感傷的なイースターの夜。

 

 

今日はめーーーーっちゃたくさんの食べ物を食べてまったりした。

 

オックスフォードまでいっていろいろな人と話して。良い昼下がり。

 

 

はぁ幸せ。