結論を出さない崇高さ
さっき、堺雅人のインタビュー記事を読んでいて「結論を出さないということも、崇高な選択だ」と書いてある一節に巡りあった。
すごく共感できた。もしかして私がこの言葉たちに救いを求めているからかもしれない。
小さいころはとても頑固だったけど、大人になるに連れてどんどん自分の中で頑なになることが少なくなってきた気がする。
例えば中絶する人のこととか、まぁ基本しないという選択肢があればいいのだろうけど、私はその人を批判することなんてできないなって。
あとなんだろう。落ち込んだり、休んだりする人も、自分がぺしゃんこになった経験を経て初めて「人にはわからない事情が山ほどある」っていうことに気づいた。
このことで人に迷惑をかけたこともある。反対に人が結論を出さずに迷惑がかかったこともある。後者に限っていえば、当時はそれで大変な思いをしたけど、今思えばあの時のがんばりが一番「生きている」という実感がした時期かもしれない。私を鍛えてくれた。そんな気がする。
私たちは何かしら意味付けをしたがる。これが正しい、これが間違っていると言いたがる。白黒なんでもつけたがる。
でも、世の中グレーなことが大半だ。
そして、私はこの混沌としたグレーが好きである。
なんか人間臭さがあって、生きているっていう感じもするし。