どこで働いても究極的には同じこと

ESとか書いて自分に向き合っているからなのか、はたまた外国にいるからなのかポタポタとふとした瞬間に自分の考えが滴り落ちる。

 

おそらく両者。両者とも今回の考えに影響していると思う。

 

今まではイタリアにいるときは「だめだ・・・イタリアみたいな呑気な仕事をすることにそんなに情熱を捧げない人たちと働くのストレス溜まるだろうなぁ」と思っていたところがった。

日本にいるときは日本にいる時で「こんな死ぬ気でやれの根性論ばかり言って、空気読むことばかり要求される人たちと仕事なんて合わないだろうなぁ・・・」と決めつけている自分がいた。

 

実際に他の帰国子女の子達からそういうことを聞いていたし、日本国内の友達たちにも「外資系でしょ」とか言われていた。

今回どこにその私が外資系に向いているという根拠があるのだろうと考えてみたら、そんな根拠どこにもないという結論に辿り着いた。

 

それに色々な国の人と働いていたら、それこそ様々な文化の人たちとも会うのだから、いちいち文化とかにこだわっているのもちょっと違うなと思えるようになってきた。イタリアの企業だって日本進出するときに、日本の人たちと仕事をしていく中でストレス溜まるだろうし、日本人に抱える不満はそれと同じ。

おそらく物事をややこしくしていたのは、私がなまじ日本人の考えとかをヘンにわかってしまうこと。でも、それは臨機応変に使い分けて得しちゃおう!という結論に行き着きました。日本人のわからないところは、ある程度そのまま放っておく。同化しようとしない。そしてその反対もしかり。

 

昨日書いていたことと繋がるんだけど、自分の中で良い意味でどんどん無意味な境界線がなくなってきているんです。今まで張ってきた「イタリア人」「日本人」という防御線をそぎ落として、ありのままの私を受け入れ始めた私。混沌とした私。いいじゃない。

どこで働いたって究極的には同じ。同じ悔しさ、戸惑い、達成感があるのかなと想像する今日このごろです。

 

私本当にイギリスにくることが必要だったんだろうなって思っている。大学卒業して、働き始める前にきて良かったって本当に思っている。タイミングって大事なんだな。