いじめ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130712-00000012-mai-soci
昨日からニュースになっているいじめによる転落死。
日本は自殺がとにかく多すぎる。
統計がどうのこうのと詳しいことを言うつもりはなく、ただ私が感じた日本の息苦しさ・問題点について書いてみようと思う。
私が思う、根本的に日本の学校におけるいじめ問題、自殺を解決する方法の一つは
「一日の大半を学校で過ごさせない」ことだ。
日本では中学校に入るとだいたい部活動に入る。そうすると厳しいところだと朝練から始まり、放課後も部活動の練習があったりする。それプラス普段の授業もある。朝から晩まで学校というコミュニティにしか所属せず、もしここでの人間関係が上手く行かなかったらもう社会的に失敗したように感じてしまう。
学校でいじめられて、もしくは息苦しさを感じて不登校になってしまったらアウト。
こういう風になってしまう。もしかしてその息苦しさをネットでの繋がりによって吐き出してなんとか前に進んでいるひともいるかもしれない。しかし、本来ならオフの世界でも(リアルな世界)複数のコミュニティに所属して自分のバランスを保ってもいいはずなのだ。
イタリアでは、部活動は必須ではない。コーラスや語学等の放課後のアクティビティがやりたい人のためには用意されているが、基本的に放課後は個々人好きなことを好きな場所でしていい。
だから、学校で上手く行かなかったら、スイミングスクールでの友達がいるからいいや。
学校で上手く行かなかったら、教会の友達がいるからいいや。
学校で上手く行かなかったら、ボーイスカウトの友達がいるからいいや。
と思い、いくつもの「逃げ道」が用意されている。
しかもそのコミュニティでその子は必要とされるのだ。
だから一箇所でしんどくっても、なんとかやっていける。学校を卒業するまで辛抱できる。
もしかしてイタリアでも小さな田舎町では通用しないことかもしれないが、とりあえず部活動(半)強制ということがないので朝から晩まで学校という場所にいながら苦痛を感じることはない。
また、これはもう日本の文化なのか日本人の特質なのかよくわからないが、
とにかく日本人は厳しい。
失敗、誤解、過ちというものに厳しい。
以前私も落ち込んでいた時期に、ある先輩に「死ぬ気でやれよ。みんな死ぬ気でやってるんだから。おまえなにやってるんだよ」的なことを言われたことがあった。その時は色々と重なった時期で心底疲れ果てていた。
しかし、日本に順応しようとしていた(?)私はそこでその言葉を鵜呑みにし、「なんでできないんだろう。真面目さがたりないからだ。もっともっともっと『がんばらなくちゃ』」と思ってしまった。
正直人生であれほどビクビクした時期はないくらいショッキングで、その落ち込みはしばらく引きづったほどだった。
その時になんで彼は想像力をもって「彼女が落ち込んでいてできないのにはどういう背景があるんだろう」と対応できなかったのか、と今となっては思ってしまうのだが、きっと彼にとっては落ち込むのは「甘え」にすぎないのだと思う。でも、別に彼だけではなくて日本人全般にとって「甘え」になってしまうのだと思う。
今ならそんな厳しい言葉、参考程度に聞いて「そっか」と思って自分のペースで進められるとおもう。そのことを理解できたのはすごく良かったなと今でも思っている。
この根性論的な厳しい「甘え」を許さない空気が日本にはあって、それが無意識のうちにいじめとか不登校とか職場で上手くいかない人の心を苦しめているのだろうなと少し理解できた。
最後にちょっとした付属的な考えなのだが、日本人のいじめでもうひとつ思ったことが一つある。
なんで日本人は嫌な相手に構うのだろう。イタリアだったら嫌なやつは極力放っておく。だって、嫌なところを指摘したらその人のためにねってしまうではないか。なのに日本人は嫌な相手にネチネチネチネチ迫ってくる。
そんなのほうっておけばいいのに。
と思うのだ。