コンビニバイトを通して見えた現実

コンビニでアルバイトを始めて思ったことがある。

それは、コンビニというものは低所得者がよく利用するということだ。

もちろん全てのコンビニに当てはまることではない。

丸の内のビルや広尾のコンビニにはそのような客層は来ないが、日本全国の多くのコンビニ利用者に当てはまることではないだろうか。

コンビニを利用する低所得者の特徴として挙げられるのが、まず

 

・とにかく威張る。そして余裕がなかったりする。

土方、タクシーの運転手、不良の若者、パートをしている主婦たちの『お客様なんだから「買ってやってるぞ」』感が半端ない。ちょっとでも年齢確認すると「ああぁん!?」って切れそうな二十代とか(しかしそれをしないと売った側が捕まってしまうのでやらざる負えない)、ちょっとでも手際の悪い新人がいると急かす土方の職人さん。このような光景はコンビニとファミレスがトップではないだろうか。とにかくサービスを提供している側が「有り難そうに、申し訳なさそうに」接客しなければならないのである。このような低所得者はコンビニとファミレスだけでしか威張れないのだろうか、ここぞとばかりに接客している店員に高圧的に接する。

もちろん礼儀正しい低所得者の方もいる。ただ、この傾向が強いのである。

 

・無駄なお金の使い方

コンビニで働き始めてわかったことがもう一つある。コンビニは低所得者の無駄遣いの上に成り立っている産業なのだなということ。私が最近友達の多くを観察して気づいたのだが、結構お金がある人ほど無駄なお金は使わなかったりするのである。本当に大事なことにお金をどーんと費やす。「ちょっとペットボトルを買おう」とか「ちょっと新作のお菓子を買おう」などといった買い物の仕方がないのである。コンビニにおいてあるものの多くは、結構あってもなくてもやっていけるものが多い。

まぁこれが経済活動が成り立つ上での「消費」ということなのだろうけど、私は低所得者からの搾取をとても感じるのである。

 

コンビニのアルバイトを通じて、「私はこの職業には向かないな」とつくづく感じた。

私の働いているコンビニがある土地柄もあるのだろうが、コンビニでアルバイトをするのは想像以上に苦痛だった。

今までも某パン工場や某宅急便メーカーの配送センターでアルバイトしたことがあるのだが、その環境は一つの「特殊な空間」として閉ざされていたためきつかったが自分がどんな状況に置かれているかイマイチ理解せずに働けた自分がいた。しかし今回は、コンビニというある意味一種のインフラに近いような場所で働いてみて、身近な環境で理不尽なDQN( http://ja.wikipedia.org/wiki/DQN )たちにペコペコ頭を下げたり対応するのは本当に惨めな気分になって「私は将来絶対にホワイトカラーになる」と心に誓った。今まではどこか斜に構えた自分がいて「私は高学歴だけど、色々と肉体労働もしてきたし、低所得者の(いちいち考えているときは「低所得者」などとわざわざ脳内でいっていないが)気持ちがわかるし!こういう気持ちを理解できる人でいたいわ」などとメルヘンな子供染みた考えをしていた。そもそも「低所得者」などといった言葉にさえ「上から目線な気がして使う気になれない」という風にさえ思っていた(が、「低所得者」は「低所得者」なのだ。まぎれもない真実)。しかし、実際に働いてみてやはり自分と同じレベルの生活、教養がない人たちといるのはどれだけ大変なことか思い知った。

 

もちろん全てはわかってはいないが、コンビニのシステムを垣間見れて勉強できたのは良かった。しかし、所詮単純作業なのでやはりいくらでも自分の代えがきいてしまい仕事と経験の蓄積がつまれないのが苦痛のもとでもあるということも理解した。そしてこのような「現実」と向きあわせてくれたコンビニのアルバイトはやってよかったが、今月で終わる辺りで私にはちょうど良かったとも思っている。